おはなのうつ病闘病ブログ

#中学校理科教員 #2018年10月~うつ病休職中 #パニック障害 #学校のあり方に疑問あり

これからのブログについて

こんにちは。おはなです。

今日はこれからのブログについて書きたいと思います。

 

このブログを開設したのは、うつ病と診断されちょうど1年たち、自分のことをようやくちゃんと振り返ることができるようになったからです。

そのため、今後は過去の私の日記を公開していきたいと思います。

 

私は診断されて5日後の2018年10月5日から毎日日記を書いています。今では日記帳は5冊目になっています。

なるべく、その当時の私の思いや感情をそのまま公開したいと思っていますので、気分を害される方もいらっしゃるかもしれません。そのときはごめんなさい。

けど、少しでも今うつ病で悩んでいる人に共感してもらえたり、「おはなにこんな時代もあったんだ!」と前向きにとらえてもらえれば幸いです。

 

Twitterでの最近の私を見ていただくと分かるように休職中ですが、一応ポジティブに生きています。しかし、どん底にいた時代もありました。どん底からどのようにこれまで生きてきたかを知ってもらうため、共感してもらうため、少しでも誰かを勇気づけれることができたらなと思いブログを開設しました。

 

これから暗い記事の連続になるかもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いします(*^-^*)

精神科での攻防戦

おはようございます。おはなです。

今日は朝の更新です(^^♪

 

今日は「初めての精神科+α」ということで書こうと思います。

記事タイトルにもした通り、病院にて攻防戦があったのでそれをメインに書こうと思います。

 

初めて精神科へ行き「うつ病」と診断されました。

うつ病と診断されたときは、驚きやショックはなく、ホッとしました。

「あぁ、私ってうつ病だったのか。」と素直に受け入れることができました。

 

うつ病と先生に言われ、受け入れ、そのあとに攻防戦が始まりました。

 

 

先 生「じゃあ次の診察のときには家族と一緒に来てね。」

 

おはな「???嫌です。」

 

先 生「!?!?どうして?家族の人の力も治療に必要になってくるよ。」

 

おはな「嫌です。」

 

先 生「うつ病だったことを言うだけでもいいから…」

 

おはな「嫌です。」

 

…と何回もこれの繰り返しでした(笑)

なぜずっと私が断り続けたのかというと、理由が一応あります。

私は今まで挫折をしたことがありませんでした。そのため、家族や友人に弱みを見せたことがなく、強がって、いいところしか見せてきませんでした。

全速力で走っていた私に、うつ病という急ブレーキがかかったことを誰にも知られたくありませんでした。

特に母には一番知られたくありませんでした。

一番の理由は「心配をかけたくなかったから」です。

そのため、先生の言うことに対してずっと「嫌です」としか答えることができませんでした。

 

しかし、この攻防戦も10分くらい続き、私の意志もくみ取ってくれ、結局私がまた号泣しながら

おはな「母に言います(´;ω;`)」

と、なりその晩、母へ伝えました。

 

最初は母は信じてくれませんでした。

ですが、私が母の前で号泣したのは生れてはじめてだったので、うつ病の娘を受け入れてくれ、次からの病院受診に毎回ついてきてくれるようになりました。

 

初めての精神科

こんにちは。おはなです。

昨日だけでこのブログに200以上のアクセスがありました!!

ご覧いただきありがとうございます(*^-^*)

これからもブログをぼちぼち頑張っていこうと思います。

 

 

さて、今日は初めて精神科に行った時のことを書こうと思います。

 

精神科はよく悪いイメージを持つ方もいらっしゃると思いますが、私は何とも思っていませんでした。風邪をひいたら内科、ケガをしたら外科、心にモヤモヤがあれば精神科、という風に思っていました。そのため、行くときも何とも思わずに行きました(^^)

もしこれから精神科へ行く、けど怖い、というイメージをお持ちの方がいたら安心して大丈夫です。

 

 

病院に行く前に事前に私がしたことは、

・ネットで病院の評判を調べる

・今の自分の状態をメモしていく

くらいでした。このメモがあとから効いてきます!

 

 

予約なしでもOKとネットに書いていたので、予約なしで行きました。

 

受付「予約はされていますか?」

 

おはな「???いいえ、しなくても大丈夫って聞いて…(涙目)」

 

受付「あらら、うーんどうしましょう。」

 

おはな「(´;ω;`)ウゥゥ」

 

受付「あららら(汗)と、と、とりあえず待合室で座って待てますか?」

 

おはな「はい(号泣)」

 

…という感じでした(笑)

そのため病院へ行くときは予約をしていった方がスムーズです!!

 

そのあと、別の方が来て、私が泣きそう(泣いている)なのを見て、別室に案内してくれて話を聞いてくれました。

しかし、いざ話そうと思っても言葉が出てこない涙と嗚咽しか出てこない

そのときにとても役に立ったのが用意していたメモです。

そのメモをかばんから出し、泣きながら

 

おはな「これを読んでくださいいいい(´;ω;`)」

 

そして数十分後、先生のもとへ案内されて、先生もそのメモを見ながら今の私のようすを聞いてくれました。

泣きすぎて過呼吸になっていたのでお薬をその場で出していただき、別室のふとんで小一時間寝て少し落ち着いた後に再度先生のもとへ行きました。

 

とても優しい看護師さんたちと先生でよかったです。

ボロボロの私を少しきれいにしてくれたような気持になりました。

 

自己紹介2

こんにちは。

おおまかな自己紹介は前記事に書いた通りです。

今回は、なぜ私がうつ病になったかをご紹介しようと思います。

長文になると思います。

 

 

私は母子家庭で育ちました。父の顔や名前すら知りません。

しかし、父親がいないことへのコンプレックスは今まで一度もありません!

母が自由に育ててくれたからだと思います(^^)

 

今まで母から何か言われたことはありません。

高校を決めるときも、大学を決めるときも、教員になることも全て事後報告でした笑

それに対して私の母は

「そうなの、いいんじゃない。」

と答えるだけでした。

私が自分で決めたことに対して母は何も文句を言いませんでした。

今考えれば、母子家庭なのに大学まで卒業させてくれた母には感謝しかありません。

母のことはこのくらいで…(^^♪

 

私は高校も大学も第一志望の学校へ一発合格

さらに教員採用試験も教育学部出身でないにも関わらず、希望自治体へ一発合格

…と、ストレートで何事もうまくいっていました。(自慢ではありません笑)

今までの人生で「挫折」というものを味わったことがなかったことが、今考えればうつ病へと繋がったんだなと思います。

 

教員1年目…右も左も分からない状態で中学1年生の担任を持ち、校務分掌で生徒会も任せられる。

何事にも「全力投球」がこの当時の私のモットーでした。

生徒と接することはもちろん、担任業、授業、部活、生徒会、初任者研修、その他諸々、全てを完璧にこなそうと毎日が必死でした。

休日返上で部活をし、残った時間は授業づくりやテスト作成、採点など、休まる暇もありませんでした。

しかしそれでも時間を作り、友人と会ったときや実家に帰ったときなどは

毎日が充実している。うまくいっている。

と強がっていました。

そんな毎日でしたが、3学期に一度学校で過呼吸になり倒れてしまいました。

今考えれば、そのときから心身ともにボロボロで、毎日が自転車操業、いや回ってすらなかったんだと思います。けど、弱い自分を認めたくなくて、だれにも見せられなくて、一人で寝る前にたまに泣いていました。

 

教員2年目…持ち上がりで中学2年生の担任をする。校務分掌で生徒会に加え文化祭担当も任せられる。

2年目の私も最初は「全力投球」でした。それに加えて、この年は勤務校の教員が大異動した年で、私しか若手がいなくなってしまいました。

私が一番の若手で、2年目でもあることから、なんでもかんでも任せられるようになっていました。私は周りにいるベテランの先生方を頼ればいいものを、また強がって一人で何でもこなせるように必死になって動いていました。

自分で勝手に「私が動かないと誰が動く!!」と、変な責任感を自分に植え付けていました。

2年目になってから心身に変化が見られてきました。

 

まず訪れたのが「月経不順・月経過多

1か月以上月経が続くときもあれば、2日で終わってしまうこともありました。月経過多だったので毎日バスタオルを持ち、貧血でつらいけど経血が漏れるのが心配でなるべく座らないようにしていました。いつかの学年集会のときに座らざるを得なくて、座ったら案の定漏れてしまい、殺人現場のようになったときもありました。(持っていたタオルですぐに拭いたのでバレませんでした。)

 

次に訪れたのが「希死念慮

毎日行きと帰りの道で車の中で泣きながら運転していました。

「このままトラックが突っ込んでくれたら、学校に行かなくていいのに。」

と毎日のように思うようになっていました。

 

そして「食欲不振」と「不眠

何かを食べる時間があれば眠りたいと思うほど毎日疲れ切っていました。しかし眠りについても夜中に泣きながら目が覚めることがしばしばおこるように。

 

最後に訪れたのが「腰痛

ある日突然腰痛で立てなくなりました。横になっている状態でも痛みがあり、お休みをいただきました。整形外科に行きましたが、特に骨に異常はなく、病名をつけるなら「腰椎分離症」と言われました。そのときの整形外科の先生に「今の仕事、どうなの?」と聞かれると、涙があふれて止まらなかったのを今でも覚えています。

 

そんなことがあり、腰痛で立つことも困難になり数週間の病休をいただき自宅療養することになりました。

が、お休みに入って2~3日で腰痛は治り、ずっと続いていた月経過多もピタッと止まりました。動けるようにはなりましたが心にモヤモヤがずっとあったため、念のため精神科へ行きました。すると、

あなたはうつ病です

とはっきりと言われ、なんだかホッとした自分がいました。

 

 

以上が私がうつ病になった経緯です。

 

 

自己紹介

自己紹介を簡単にしようと思います。

 

*20代

*女性

*中学校理科教員

うつ病と診断され休職中

パニック障害

*学校のあり方に疑問あり

 

ざっくり言うとこんな人物です。

この度ブログを開設しようと思ったきっかけは、

 

うつ病と診断されて1年』

 

だからです。記念日と言っていいか分かりませんが(苦笑)

うつ病と診断されてから毎日日記をつけています。今も少しですが日記を書いています。

このブログは、その日記を振り返り、過去の闘病記録として残そうと思い開設したものです。

もしかしたら気分を害す方もいらっしゃるかもしれませんが、うつ病がひどかったときの思いや心情に少しでも共感してくださる方がいれば嬉しいです。

 

まだ私は休職中ですが、復職に向けて今を生きています。

うつ病どん底にいたときも私にもありました。

けど、今は明るく前を向くことができています(^^)

 

今、もしどん底にいるとしても大丈夫です。無責任には言うことはできませんが、一緒に少しずつ前進していきましょう!

 

つたない文章になると思いますが、ご覧になっていただきありがとうございます(*^-^*)

 

はじめまして。

はじめまして。

「おはな」と申します。

この度、ブログを開設しようと思い、はてなブログさんにて開設しました。

お時間のあるときに見ていただけると嬉しいです(#^^#)

よろしくお願いします。